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【若手職人の、いまの話。】

器と向き合い、夢を描き、

自分が選んだ道を突き進む。

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こんこんと湧き出す清らかな水。整然と連なる石積みの棚田。初夏に光るホタルと満点の星空。

福岡県中央部の東端、大分県との県境に位置する東峰村は、標高500mから900m級の山々の懐に抱かれた、日本の原風景が息づく村だ。

東峰村で300年以上続く、伝統的焼物が「小石原焼」である。天和2年(1682年)、黒田3代藩主・光之が招いた肥前・伊万里の陶工が中国風の磁器を伝え、既に小石原にあった髙取焼と交流のなかで、独自のスタイルが形成された。

生活雑器としての道を歩みながらも、美しさをたたえた小石原焼は、「飛び鉋(とびかんな)」「刷毛目(はけめ)」「櫛目(くしめ)」などの技法を受け継ぎながら、新しい作風の確立をめざしている。独自の技法から生まれる表現の幅が、小石原焼の魅力だ。

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伝統の技を受け継ぐ窯元の一つ、皿山地区にある「やまぜん窯」では、若き職人が日々器と向き合っている。高田慎也さん、25歳だ。

ろくろに触れて、道が決まった

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高田さんは、佐賀県・鳥栖市出身。大学で工芸デザインを学び、2022年度「小石原焼後継者インターンシップ」を経て、2023年4月やまぜん窯に入った。

両親に小石原や有田に連れて行ってもらい、子どもの頃から焼物に親しんできた高田さん。陶芸の道に進むことを決めたのは、大学でろくろに触れたときだった。

「金工や染色も学びましたが、陶芸がいちばん楽しかったんです。日常的に身の回りにあるものを、自分の手で作る面白さがありました」

大学4年の時、友人からの紹介で小石原焼後継者インターンシップのことを知り参加。そこで初めて仕事としての陶芸に触れ、これまで大学でやってきたものとは別物であることを目の当たりにする。

「大学と仕事では、作業のスピードや効率がまったく違っていて、不安になりました。一方で、“受け継がれてきたものを現代にあわせて発展させていく”という小石原焼の考え方にとても共感しました。デザインも好きだったし、不安よりもやってみたい気持ちのほうが大きかったです」

こうして、やまぜん窯に入ることを決めた高田さん。家族はもともと「やりたいことが見つかったなら、それを頑張りなさい」という考え方だったため、小石原焼の職人になることを温かく受け入れてくれた。

親方の言葉が、不安を自信に変えた

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2026年4月で、やまぜん窯に入って丸3年になる高田さん。1年目に工程を学び、2〜3年目はその精度を高めてきた。現在はろくろで形を作るところから、釉薬塗り、焼成、販売の手伝いまで、一通りの工程を担当している。

「以前は1種類ずつしか進められませんでしたが、近頃は段取りが身に付いてきたので、2種類の商品を同時進行できるようになりました」

職人として順調な成長を続ける高田さんだが、1年目は不安も大きかったという。弟子入りから1カ月後に開催された陶器市で、高田さんが作った器が初めて店頭に並んだ。

「先生の指導を受けながら、一つずつ丁寧に時間をかけて作りました。でも、形をそろえることができなくて。店頭に並べてもよいのだろうかと不安でした」

弟子入り当初、ほかの職人との技術の差を感じていた高田さんは、「ついていけるだろうか」と不安だった。そんなとき、親方・熊谷智久さんのある言葉が励みになった。

「『自分で決めた道ならば、それが正解だ』という先生の言葉に救われました。自分で選んだ道は正しかったんだと思えて、自信が持てるようになりました」

不安を乗り越えたその先で、高田さんは仕事としての陶芸の楽しさを見つけていった。

「店頭でお客様と話すと、どんなものが喜ばれるのかわかるようになります。自分の作りたいものと伝統、そしてお客様のニーズを合わせながら作る。それが仕事としての陶芸の面白いところです」

いつかは、一から自分でデザインしたものを作ってみたいという高田さん。師に支えられ、器と向き合い、夢を描けるようになった今、同じ道を志す後輩にエールを送る。

「実際に職人として働くことで初めてわかることがあります。私も最初は不安でしたが、飛び込んでみたからこそ、今の自分があります。だから、やってみたい気持ちがあるなら、臆せず飛び込んでほしいですね」

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取材・文章/國分 聡 写真/本人・ニッポン手仕事図鑑 提供

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