はじまりの地・奈良で受け継ぐ手仕事──

「奈良伝統工芸後継者育成研修」がつなぐもの

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古都・奈良。ここは日本で初めて都が開かれた、「はじまりの地」と呼ばれている。人や文化が行き交う中で、数多くの手仕事が磨かれ、暮らしの中に息づいていった。

そんな奈良で、その伝統を継承する試みが始まっている。2006年から続く「奈良伝統工芸後継者育成研修」だ。研修生は3年間、職人のもとで学びながら、技を身につけていく。研修はこれまでに7期にわたって行われ、20人に迫る修了生が、それぞれの分野で活動を続けている。

2026年度、第8期の受け入れ先は、2人の工房主。奈良晒(ならさらし)の岡井大祐さんと、奈良一刀彫の土井志清さん。奈良の地で技を受け継ぎ、次の世代へと橋をかけようとしている、その現場を訪ねた。

麻を織り、時をつなぐ─ 奈良晒 岡井大祐さん

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「江戸時代には、このあたりの9割ほどの人々が、『奈良晒』に関わっていたそうです」

そう語るのは、岡井麻布商店・六代目の岡井大祐さん。1863年(文久3年)創業の岡井麻布商店は、現代まで続く、数少ない織元のひとつである。

奈良晒とは、手紡ぎの糸を使い、手織りで仕上げられる上質な麻織物のこと。武士の正装である裃(かみしも)などに用いられ、「麻の最上は南都なり」と評されたほど、その品質は全国でも指折りである。

しかし武士の世が終わると、需要が激減。明治以降は蚊帳や茶布などを手がけながらも、衰退の一途をたどった。

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「昭和の初めまでは、まだ近所にも機(はた)を織っている家があったようです。でも祖父の頃には、どんどん辞めてしまって……」

今、奈良県内で奈良晒を事業として続ける織元は、片手で数えられるほど。うちがやめたら、奈良晒が終わってしまう。だからこそ、細くても長く続けよう。真摯に、嘘偽りのないものづくりをしていこう。そんな決意を旗印に、岡井麻布商店は160年以上の時をつないできた。

「とはいえ実は、僕は最初は家業を継ぐ気はなかったんです」と岡井さん。幼い頃から「将来はあんたがやるんやで」と言われ、反発する気持ちもあった。外に出ることも考えたが、「20年外で働くなら、20年早く家業で腕を磨くのもひとつの道」と思い直した。

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岡井さんが家業に入って間もなく、岡井麻布商店はひとつの転機を迎えることになる。父・五代目の孝憲さんが直営店を開き、商品の販売を始めたのだ。岡井さんも、自身が感じる奈良晒の魅力を形にしたいと、「Mafu a Mano」というブランドを立ち上げた。麻のハンカチやスカーフ、コーヒーフィルターなど、現代の暮らしに馴染む商品を展開している。

「生地を織る前の、素のままの糸の状態。この簡素さが、僕にはとても美しく感じられました。だからMafu a Manoの商品には、色や柄はつけていないんです」

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岡井さんは今でも毎日店に顔を出し、空気を確かめている。つくるだけでなく、どう伝え、誰に届けるかまでを考え抜くことが、ものづくりだと語る。

「お客さんの反応を見て違うなと思ったら、また他のものに挑戦したら良い。ものづくりは好きだけど、売ることは苦手な人も多いと思うんです。すごく良いものをつくっているのに、値付けが間違っていたり、説明が足りなかったり……。10人中5人に届けたいものもあれば、たった1人に届けば良いものもある。その感覚が身につけば、きっとものづくりも変わってくると思うんです」

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岡井麻布商店として、弟子をとってこなかった。お店の運営が安定し、県外への出展も増え、知名度が上がってきた。だからこそ、今ならやれる、もっと挑戦できるというタイミングなのだと力を込める。

「僕たちの分身を育てたいわけではないんです。今のやり方を叩き込むより、その人が『こうしたい』『こんな商品をつくりたい』と思える場を整えたい」

つくることから始まり、誰に届けるか、どうやって売るかまで、岡井麻布商店で学ぶことができる。そうして生まれるのは、「Mafu a Mano」のように、その人ならではのブランドかもしれない。

岡井さんは笑顔で続ける。

「お客さんの中には、奈良晒を幻だと思っていた方もいたんですよ。もう途絶えてしまったものだと。今は手織りの麻製品を、暮らしの中で見る機会が少なくなりました。だからこそ、まずは麻をもっと身近に感じてもらいたいんです」

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布一枚でもいい。手織りの麻を窓に掛けて「これを見ていると落ち着く」と思ってもらえたら、それで十分だと岡井さんは言う。

「奈良晒を知ってもらえたら、織る人が必要になる。雇用が生まれて、働きたい人が増える。若い人もやってみようかなと思うようになる」

そうやって人が増えていけば、奈良のあちこちで再び機の音が聞こえる日が来るかもしれない。岡井麻布商店が織る糸、一本一本には、誇りと責任が通っている。細くても長く、誠実に続けていく。それは160年のあいだ奈良晒を織り継いできた職人の、まっすぐな覚悟なのだ。

木を彫り、形を残す─ 奈良一刀彫 土井志清さん

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奈良一刀彫は、春日大社の神様に供える人形づくりから発展し、節句人形や干支飾りとして親しまれてきた。複数のノミを使いつつも、まるで一刀で彫り進めたように彫り跡を残す、大胆な表情が魅力である。そんな独特の造形に惹かれ、40年以上木に向かい続けているのが、土井志清さんである。

土井さんは、兵庫県丹波篠山市の出身。地元は「丹波立杭焼」の里として知られ、幼い頃からものづくりが身近にあったという。転機は学生時代。美術館で出会った木彫りの展示に心を掴まれた。

「こけしのようなつるんとした表現とは違って、一刀彫は面で構成する作品です。角の力強さを表現するのが面白そうで、とにかく僕もやってみたいと思いました」

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その後、奈良県の伝統工芸伝習生(当時)に応募し、一刀彫の名匠・大林杜壽氏に師事。一から技を学び、木と刃の感覚を身につけていった。

修行をはじめてから、約3年後に独立。最初のうちは夜間の警備のアルバイトで生計を立てながらも、「必ず本業で食べていく」と、毎日木を彫る手は止めなかった。こうして40年以上にわたって彫り続けた土井さんの作品は、今では奈良県生駒市のふるさと納税返礼品にも選ばれ、全国にファンを持つ。

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長く彫っていると、作品にはその人の癖が出てくると土井さんは言う。

「個性っていうのはね、奇をてらってつくるものじゃない。朝から晩まで一生懸命仕事をしていたら、自然とにじみ出てくるんですよ」

実際、遠くから作品を見ても、誰が彫ったものか分かるそうだ。同じ作品でも、少しずつ表情が違う。それが手仕事の良さだと土井さんは言う。

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2018年には「奈良伝統工芸後継者育成研修」の第5期生を受け入れた。弟子は修了後に独立し、一刀彫の作家として活動するほか、奈良工芸フェスティバルの副実行委員長も務めている。今回もう一度受け入れに踏み切ったのは、年齢の節目と、職人の減少に対する危機感からだ。

「僕が一刀彫を始めた頃に比べたら、職人は三分の一か四分の一か……もっと少なくなったと思う。趣味で楽しむ木彫りを教えるのも良いけれど、プロとしてちゃんと食べていける人を育てたい」

できれば、同時に2人受け入れたいと土井さんは言う。

「競争って大事なんです。昔の弟子同士も、毎日どっちが多く彫れるか競っていた。そうやって腕が早くなるし、仕事の質も高くなる」

そして、やる気と覚悟があれば3年で独り立ちというのは決して早くない、と続ける。

「僕だって、3年かからずに独立したから」

だからこそ、研修を終えたあとは独立を前提に、背中を押したいと土井さんは語る。

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40年以上彫り続ける日々の中で、苦しさを感じることはないのだろうか。

「とにかく、面白いからね。子どもは、ご飯を食べるのも忘れて、日が暮れるまで遊んでいるでしょ。それに近いかな。生まれ変わっても、また一刀彫をやりたいと思う」

土井さんの言葉に、飾り気はない。仕事で大切なことはと尋ねると、作品に目を落とし、こう答えてくれた。

「言葉にしたら色々あるんだろうけれど、僕のような仕事はね、『残ること』を前提にしているんです。下手な仕事をしたら、死んだあとも笑われる。それが一番怖い。手を抜いたなと、思われたくない。だから楽しみながらも、緊張感を持ってつくるんです」

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「僕の仕事は、僕が死んだあとも生きていく。僕がつくったものを見て、後の人が学べることがひとつでもあるなら、それが本望です」

彫り跡のひとつひとつには、土井さんが木と向き合い続けてきた半生が刻まれている。その跡を受け継ぐ手が、新しい作品を彫り出す日を、土井さんは待っている。



「はじまりの地で、次の一歩を」

糸を織る手、木を彫る手。その手仕事が、千年の都・奈良の時間をつないできた。

「奈良伝統工芸後継者育成研修」は、そんな技のそばで学び、未来へと受け継いでいく人のための3年間である。奈良の地で、技を磨きながら、自分の道を見つけていく。新しい一歩を、この「はじまりの地」から踏み出してほしい。

取材・撮影・文章/小黒 恵太朗

<奈良伝統工芸後継者育成研修生 第8期生募集>
■応募期間:令和7年10月7日 ~ 12月10日
■研修期間:令和8年4月1日 ~ 令和11年3月31日
■奨励金:月15万円
▼詳細・応募はこちらから
https://www.city.nara.lg.jp/soshiki/109/6851.html

\ 説明会・交流会も実施します /
後継者育成研修生第8期生募集 説明会・交流会を実施します。
当日は、受入工房主の職人さんと交流できるコンテンツもあります。
研修生募集への応募は説明会参加後の検討でも大丈夫です。
お気軽にぜひご参加ください !
【日時】
11月15日 (土)13時30分〜15時00分
【場所】
BONCHI(奈良県奈良市橋本町3-1)
または、オンライン(zoom)※参加申込後にURLをお送りします
【参加費】
無料
【お申し込み】
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